『わたし』と『みんな』のズレ②
『ホンネ』と『たてまえ』。
自分の中の違和感は、ずっとそれだと思っていた。
自分の心の声(ホンネ)は『そうだね』と自分だけのモノとして納得し、誰にも言わず、表現もしない。
全ては『たてまえ』として、考えたことを実行していく。
そのうち、たてまえを実行していくことが大切になって、自分のホンネを考えることすら無くなり、機会的に1番良いと思われる行動を取る。
それが最善だと思っていた。
そこに私の感情は存在しないし、存在させてはいけないと思っていた。
特に仕事とプライベートを分けて考える習慣がなかった(分けるということが、わかっていなかった)仕事を始めたばかりの頃。
学校を卒業して、そのまま入社した会社。
アルバイト経験すら殆ど無い私は、学生の頃と同じ心持ち=そこで生きている感覚で、仕事をしていた。
仕事をしていく上で、上手く行った『成功体験』を元に、自分の言動を制限していく。
『わたし』ではなく『会社』として、どう考えて、行動していくべきか。
どんどん『わたし』と『会社』の境目が曖昧になっていった。
そこ(会社)で生きているという考え方だったから、どんどん『わたし』の意見は『会社』としてどう在るべきかにすり替わっていった。
「みんな」と一緒であるようにする。
私が子供の頃に目標にしたこと。
「みんな」が「会社」にすり替わって、わたしの行動を決めていく。
会社としては、『使いやすい』人間だったと思う。
自分の身体より『仕事』が大切になり、円滑に仕事を回していくために最善を考える。
それが自分の意志だと勘違いして、自分の身体を大切に出来ない(しない)状態で仕事を続けた。
結果、自分の心の声を無視することになった。
私は結構わかりやすく『身体』に症状が出るタイプだった様で、体調をよく崩すようになった。
自分の意志ではどうにもならない。
『自己管理が出来ていない』と上司に言われ、体調を崩すのは、自分の弱さだと考えて、さらにムチャを繰り返した。
「ストレス性胃腸炎」は、アタリマエのこと。
私の中で、病名ではなくなっていった。
身体のサインを無視する。
心の声を無視する。
それを繰り返すことで、どんどんサインは大きくなっていく。
ある日、左半身が動かなくなった。
それも、朝起きたら急に。
右手は動くのに、左手が動かない。
最初はシビレているんだと思った。
『変な体勢で寝たんだな』くらいにしか思わなかった。
腹筋を使って上体を起こそうとしたけど、ピクリともしない。
そこで、おかしい事に気が付いた。
順番に動かそうとしても、やはり左側が動かない。
足も、手も。
指先すら動かすことが出来なかった。
感覚すら無い。
ようやく「マズイ」と思った。
でも、「今日から3日間、仕事が休みでよかった」と真っ先に、すんなり思った。
今思い返すと、その思考回路は恐い。
当時は、アタリマエのことだったけれど。
整形外科で「第三頸椎がズレている」事が判明。
神経を圧迫していたため、身体が動かなかった。
交通事故でも、強い衝撃を受けたわけでもない。
自分の部屋で、いつも通り、ただ寝て起きただけ。
「なぜズレてしまったのか?」はわからないけど、ズレたのならば直せば良い。
そんな考えでリハビリをし、シビレや感覚の麻痺は残っていても、とりあえず体を動かすことが可能になって、3日後、通常通りの日程で仕事に復帰した。
そこで、もっと自分と向き合う事ができればよかったのだけれど、そこをおざなりにした。
その後5年にわたって、リハビリとそれぞれの対処療法(血流障害・足先の感覚麻痺麻痺など)を繰り返していた。
左足のつま先に感覚がないのは当たり前になり、たまに左手に感覚がなくなる。
左腕全体に血流障害がおきて、シビレ、痛み、どす黒く腕の色が変色する事を繰り返す。
病院で精密検査をしても、異常なし。
血栓も見つからない。
なぜ、そんな症状が出るのかわからない。
原因不明。
でも、動くのだから「とりあえず問題ない」。
自分に対する「自己価値」についても、低くなる一方だった当時。
問題ないわけないのに、問題ないと本当に思っていた。
「自分を大切にしなさい」友人に言われても、
わたし=会社 の価値観では、ちゃんと意味がわかっていなかった。
そんな中、ある時、自分の価値観を覆す事が起きた。
「わたし」と「仕事」に線を引くきっかけ。
それは「みんなと一緒」=「会社」=「わたし」の考えに囚われていた思考回路を、整理して、元に戻すということ。
恩師である心理カウンセラーのアキラ先生・久美子先生との出会い。
「わたし」の望みなのか、それとも「仕事として必要だから」なのか。
そして「みんなって誰のこと?」ココを明確にしていく。
子供の頃から囚われていた「みんな」と言う価値観。
みんなとは何なのか?を考え、「わたし」と言う価値観が「わたしらしく」あって良いのだと納得することが出来た。
「みんな」とは?「わたしらしさ」とは?
それぞれの「わたしらしさ」を表現していくことの大切さを私はある意味、身体をもって体験した。
経験も表現もそれぞれ。
全てあるがまま。
自分らしさを大切にすること。
それが何より重要に思う。
私は意識が変わることで、体調も変化した。
これは一つの例に過ぎないけれど、自分の思考が思ってもみない症状を引き起こしていることもある。
自分らしく、あるがまま。
思考で作った自分ではなく、本来の自分らしさに。
そのズレにに気づくきっかけを…縁を結んで行けたらなと。
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